荒野をさ迷うOUTLAWにとって、
馬車は快適な我が家でもある。
雨風をしのげる屋根もあるし・・・
このページは今までわたくしが愛した
名車(迷車)達の記録です。
では、ごゆっくり・・・・
HONDAシビック(SB1) 年式型式不明
排気量:1169CC 水冷直列4気筒横置OHC
最高出力(PS/rpm) 60/5500
最大トルク(kg-m/rpm) 9.5/3000
全長 3405mm
全幅 1505mm
全高 1325mm
ホイールベース 2200mm
車両重量 600kg
これが長いシビックシリーズの初代車両ですわ。
’69に発表されたホンダ1300の業績不振を打開すべく世に送り出したシリーズですね。
当時の資料が無いので年式不明なんですけど、'72〜'79まで作られてます。
’72に世界で最も厳しいといわれた米国の排ガス規制「マスキー法」の制定を受けて
自動車業界は低公害車の開発を迫られていた時期にデビュー。
73年12月には同法を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンを搭載。
日本のみならず、米国でも大ヒットした車両らしいですわ。
世界的には2輪メーカーという印象が強かったホンダを4輪の
有名ブランドへと押し上げた基礎になった車両っすね。
自分が18歳の時に4輪の免許を取って初めて乗ったのが、
この親父の車でした。1回も事故は無かったんですが
何回かぶつけて、いい練習台になりました。
さすが、本田の作ったファミリーカーです。
(写真提供:本田技研工業 シビックカタログより)
SUZUKI セルボ CX-G(SS-20) 55年型
排気量:539CC 2サイクル3気筒
最高出力:28ps/5000rpm
最大トルク:5.3kgm/3000rpm
全長:3190mm
全幅:1395mm
全高:1210mm
改造点:メ―カー不明Fスポイラ―/同 バナナウイング/
マーシャル88フォグ(ロード・スッポト各1/シビエヘッドライト/
マーシャルバルブキット/F・Rバンパー塗装/
ナルディクラッシクレザーステア/ベイビーターボドアミラー/
フェンダーミラーパテ埋め/テクノファントムアロイホィール/
自作4本だしマフラー/YOKOHAMAグランプシリーズリタイヤ(忘れた)
コンポ:パイオニア ロンサムカーボーイ
(デッキ・イコ・アンプ×2・4スピーカー・ツィータ)
古い文献によりますと、1972発売のフロンテクーペGX後継モデルで
フロンテの356CC/37psに対し、軽枠拡大で550CCにはなったが、
53年排出ガス規制で28psにパワーダウンだそうな。
今では考えられないでしょうが、当時のこの車の装備は普通車並で、
CX-Gのみセンターコンソール熱線入りRウインドー、簡潔ワイパー、
イルミネーションランプ、三点シートベルト、フロントディスクブレーキ、
四輪独立サスペンションでフロントがウィッシュボーン、リアがセミトレで
内装は合成皮革と、超豪華版でした。
で!私の個体は’79/10のマイナーチェンジ後の車両で、上記プラス
マルチユースレバー、ドア連動ランプ、ウォッシャーノズル2本化、ベッドレスト分離型シート
等、軽四史上超豪華使用だったのです(今は当たり前の装備ですが)
’82のモデルチェンジで、型式も終りました。
しかし、RR(リアエンジン、リア駆動)で峠などではよくスピンして死にかけまして
(くわばら、くわばら)それと、良く壊れました。
なんせ、シリンダーヘッド3枚交換、3回研摩で、
後ろにエンジンがあるために熱対策が不完全だったみたいですね。
自分のにはエアコンがついて無かったのですが
エアコン装着車はもっと辛い思いをしていたようです。
今では、エアコンなんて当り前の物なんですが、当時はね・・・f(^_^)ぽりぽり
マフラーは仕事柄配管などもしますんで、ノーマルマフラーを半分に切って
二本出しにしてその先端にマフラーカッターを加工した物を溶接してます。
バナナウィングは、角度を削り合わせてパテで再整形してます。
DAIHATSU フェローマックス 年式不明
これは、自分が運転してたわけではないですけど、outlaw家も主が運転免許を
習得して、マイカー族の仲間入りをした初めての車っす!
初代(’66〜’70)のフェローは、FR車だったのに対し2代目フェローマックスはFFだと言う
当時としてはたいへん珍しい機構だったそうです。
今ではFFが当たり前の時代ですから考えられませんねぇ。
自分が小学校高学年の時に我が家にやってきた車両です。
これが自分の車人生の原点って言う事なんでしょうね。
この後にフェローの称号がなくなり、マックスクオーレ、ミラクオーレ
ミラとクオーレの兄弟車となりミラの称号が現在残ってます。
この後に我が家にシビックが来る事になります。