風の橋(outlaw's WEB BAND Style)
クリックしたら始まります。
作詞 | Isao Yamamoto |
作曲 | Miyako Tyaki |
演奏時間 | 3M48S |
DL容量 | 3.69MB |
ファイル形式 | MP3 |
Vo | outlaw |
AG1 | Gibson |
AG2 | Martin |
AG3 | Deve |
AG4 | Ovation |
AG5 | S.Yairi (Nashville) |
EG1 | Takeder |
EG2 | Tak※ CY |
BG | AriaproⅡTAKE Sp Akaei |
ドラム | Pistoncollage |
キーボード | |
この曲は茶木みやこさんの曲ですわ。
茶木みやこさんって言っても知ってる方は少ないと思っすけど。
1970年に小林京子さんと「ピンク・ピクルス」を結成してデビューしたそうっすわ。
ピンク・ピクルスってのは活動拠点の京都にちなんで、「柴漬け」の事らしいっす(笑)
代表曲は、東京オリンピック 男子マラソン銅メダリスト故円谷幸吉選手に因んだ?歌
「一人の道(1972発表)」だそうっす。
一年間活動して1972年、ピンクピクルスを解散後はソロ活動をする事になるっす
私が知ったのは1977年テレビドラマ「横溝正史シリーズ」テーマソングの
「まぼろしの人」からっすかねぇ。からって言ってもよく知らないんっすけどね。
この後作詞家の阿久悠氏と組んだ第二弾テーマソング「あざみの如く棘あれば」
くらいまでが茶木さんの知名度を上げるってかピーク時やったんやないっすかねぇ。
私が今でも聞いているんは、1977年ハーベストレコード「茶木みやこ撰歌」っすわ。
車ではMDが今でも聞けるんでたまに聞いてます。
その他にも「泪橋」「風が欲しい」「闇路」「バイバイブルース」なんか
茶木さんの世界観が伺える作品ではないでしょうかねぇ。
私的にはギター弾き語りと言うイメージは無かったんですけど
ピンク時代から現在でも京都を拠点として活動されてるみたいです。
さて、今回の「風の橋みたいな曲」っすけど、先にも書いた1977年発表の「まぼろしの人」の
B面になるっす。今風に言えばカップリング曲っすかねぇ(-"-;A ...アセアセ
このEP以外には収録が無いようなのでマイナー中のマイナーなのかも知れんっすわ(;^_^A アセアセ・・・
私は茶木さんのこう言う世界観が好きですけどねぇ。死ぬまでに一度実際に拝聴してみたいと思いますわ。
話は反れましたが、この曲はピアノ主体でキーボード、ベース、サキソフォン、ドラムスで構成されてます。
私のバーチャルバンドは、ギターバンドなんで上記の構成で作ってみますた。
また、私はコピーをあまりした事がないですから面倒なフレーズは省いちょりますオホホホ!!γ(▽´ )ツ
ブッチャケ!音源がなくてねぇ~いろいろ探して唯一あった視聴音源で
フルコーラスなんてありゃしない( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
3番の歌詞なんて合ってるかどうかさえも今ではわからんし
間奏なんてサラサラわからんで作っちゃいました アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー
過去の記憶と雰囲気で作った「風の橋みたいな曲」っすヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホ!
想像はしてましたが、DEVEの悲しいデビューになっちゃいました。
さて今回の企画っすけど、私事では悲しいお話っすわ。
去る2013年12月11日10時8分頃、14年9ヶ月の猫生を終え
Jyurianが旅立ちました。
生後6ヶ月で我が家に来て14年3ヶ月苦楽を共にした可愛い娘でした。
2年半前にKettyが旅立った時にそれまで短毛類?って思えるほど豊満?な体が
ガッツリ痩せたのに驚いて最寄の病院に連れて行ったんっすけど
年齢にして何処も悪くない珍しい健康体って言われたんを思い出します。
やっぱペットはペットショップよりブリーダーさんから直に譲っていただくのがええのかって思いました。
先に逝ったKettyは体も少し弱くてペットショップより購入とあって余計に感じたのかもしれんっすわ。
滅茶苦茶食欲旺盛でなのになんだか痩せているのは気になってたんっすけど
あるひフラフラしだしたんで病院に連れて行くと、悪性リンパ腫との診断でした。11月10日の事です。
見る人が見ればわかるんかも・・・
抗がん剤治療との提案もありましたが、年齢と体調を判断すると
延命ファーストステージで生存率は低いだろうとの判断で点滴+ステロイド治療をする事にして
1日でも長くお別れの時間を作る事にしました。
そんなに良くある病気ではないのですが同時期によそ様の猫ちゃんで同じ症状がでたそうです
その子は抗がん剤治療をしたのですが、体がもたなかったらしいですわ。
それが良いとか悪いとかではなく、抗がん剤治療が成功しても最長生存は200日だそうっすわ。
私は人間でも辛い抗がん剤治療をこんな小さい体にする事はできませんでした。
3日と言われたところを1週間2週間と頑張ってくれました。
体に良くないかもしれませんが、食べたいと言った?物を食べさせ
自分で一生懸命水分を取ろうと頑張ってくれました。
一時は治ったんじゃないかって程元気で過ごしてくれましたが、旅立つ2日前
とうとう、意識混濁に陥り、時折痙攣を繰り返して引き潮と共に旅立ちました。
無い柄は残ったMercedesとべ~やんにお別れをさせて
観音寺市の火葬場「燧望苑」にて荼毘にふしお骨は人用の骨壷に収めてもらい
今は、我が家の仏棚でLexus、Celica、Kettyの横に居ます。
14年半お付き合いいただいたブリーダーさんにもお手紙をだしてお別れをしました。
♪ 白い小壷に納まれば胸に抱かれて鳴るように ♪
あんな丸っこくて重かった子がこんなに小さくなって・・・
私は幸いにも人の小壷は抱いた事がないんですけど
呆気ないって言うか、儚いって言うか・・・・
もう何もしてやれんっすわ。出来るのは先に逝った者達と同じ
フードを換え水を換え線香をあげるくらいっすわ。
いろんな思い出がこみ上げてきます。
彼女には「ありがとう」って言葉しか浮かんできません。
ほんと、ありがとうです。
私にはまだ、今年18歳のMercedesが居ます。
今年12歳のべ~やんも居ます。
ここでヘコタレてる場合ではないです。
それにJyurianが旅立つ半年前に話があり、頓挫していた話が復活して
今はLamiちゃん8ヶ月も居ます。
この子も不思議なくらい頓挫したわりにはとサクサクっと我が家にやってきました。
Jyurianが寂しくないように縁を作ってくれたのかな?と勝手に解釈しております。
まだまだ、とぉ~ちゃんそっちに行けんけど、Kettyと喧嘩でもしとって。
これをアップした今日はJyurianの49日っすわ。
一人で寂しいやろうけどあの世とやらに上っている事でしょう。